尾道風水論

2002年考察 尾道市

平成12年春に尾道市立美術館開館20周年を記念した企画展「龍の国・尾道」へ出品した作品「陰陽方珠」が尾道市の長江口に設置され、風水モデル都市といわれる尾道の不思議な事実が改めてクローズアップされ、観光の新しい切り口として注目を集めている。


昔はてっぺんに光る石がのっていた伝説に基づいて玉がおかれている。この玉の岩は尾道を見下ろし、守っているかのように思われる。


千光寺が見える尾道市十四日元町のゆとりの広場(長江口)に八月八日、五つの爪の龍がにぎった宝珠と尾道の都市像を解き明かす彫刻「陰陽方珠(おんみょうほうじゅ)」が設置された。制作者は尾道市出身の彫刻家、児玉康兵氏(大阪府高槻市)。


西国寺の金堂から仁王門に向かって真っ直ぐ伸ばした目線には岩屋山の山頂が見える。


西国寺=尾道市西久保町29-27。真言宗。開基は天平の時代(729-765年)といわれる。金堂と三重塔や仏具が国の重要文化財。


本堂から山門を真っ直ぐ見ると山門を額縁にしたように岩屋山がぴたりと収まっている。


浄土寺=尾道市東久保町20-28。真言宗泉涌寺派。聖徳太子(574-622)の創建と伝わる。本堂と多宝塔は国宝。山門と阿弥陀堂は国の重要文化財。足利尊氏も1336年に戦勝祈願のため立ち寄った。


観光客が必ず立ち寄る千光寺本堂も岩屋山を真っ直ぐ向いている。隣には玉の岩がそびえて立つ。


千光寺=尾道市東土堂町15-1。真言宗。開基は平安時代はじめの806年。本堂は朱塗りが鮮やかな赤堂。裏手には巨石が三段重ねになっている三重岩もある。


二基の五輪塔の中央に立って南側を眺めれば、岩屋山が正面に見える。五輪塔もまた岩屋山方向を基軸に設置されたと思われる。


福善寺北側の丘陵は墓地となっているが、その南端に立派な五輪塔が建っている。ここは丹花城跡で城主だった持倉則秀、則保父子の墓とされる。

尾道風水論

平成12年の企画展「龍の国・尾道」で集まった龍にまつわる情報は企画展と同名の「龍の国・尾道」と題した本にまとめられ、立派な表装で出版された。龍は風水思想や古代の地勢学では象徴的な造形として扱われる。本の中では「尾道風水論」が多彩な研究者の視点で語られている。
黄永融氏(大阪大学環境工学科客員研究員、風水学研究者)は「龍の町―尾道」の中で、「日本の古代における地域計画や国都立地の選定においては、自然の秩序と大地の地形構成を深く意識して、自然の摂理に合致するという概念に立脚して地域の諸施設が配置されていた。(中略)尾道の地域計画はまさしくこのような古代地域計画の原型を通して造られてきた」と述べている。
「陰陽方珠」を制作した彫刻家の児玉康兵氏も「隠れた古代陰陽都市」の中で、尾道三山の配置とそれぞれの山に位置する寺の歴史を調査した結果に基づき、「次に東の浄土寺に行く。山門、本堂共、南の岩屋山を向いている。(中略)南の朱雀の岩屋山に登る。尾道三山を望むことができる。西の千光寺、北の西国寺、東の浄土寺がこちらを向いて建てられていることを確認する。これは一つの思想の基に配置計画がなされていることを物語っていると言えよう」と述べている。
びんご経済レポートの「風水学」の執筆者でもある小林将利氏(理気学及び風水学研究家、古代史研究家)は「龍が守る尾道と江戸の龍」の中で、古代の巨石信仰に触れ、尾道三山と岩屋山に共通して存在する巨石の位置関係を解説し「理想的な風水モデル都市といえるオノミチの町は、多くの巨石遺構を残して居り、町全体が地龍の気の旺盛な、神道でいうイヤシロチ化している土地であり、旺盛な気を発しており、心安らぐ『癒しのパワー』をも備えている町でもある」と述べている。
こうした情報は資料として興味を持つ人のもとでひっそりと息を潜めていたが、尾道大学の開学とともに教授として迎えられた稲田全示氏のもとに集められ、「ヴァーチャル尾道」構想として最構築され、よりアカデミックな古代ロマンとして息を吹き返そうとしている。前述の児玉氏は論文の最後で「2000年辰年に『龍の国・尾道』の企画により、千数百年の眠りから醒め、思想の封印が解かれしことは、歴史の不思議としか言い様がない」と結んでいる。尾道で何かが動き出そうとしている。

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