びんごトピックス  2002年9月20日号 
 
表紙写真


東洋整体学院を卒業した蘇生術師150人が集合

東洋整体学院(福山市御船町13-24ダイアパレス1102、金光勝己学院長、рO84・924・8551)は九月九、十日の二日間、福山市鞆町のホテル鴎風亭で信越から九州地区を中心に全国から約百五十人の東洋整体蘇生術師が集まる「東洋整体蘇生術スクーリング」を開いた。
はじめに東洋整体学院の卒業生で組織する東洋整体蘇生術師会の佐竹俊明会長が「毎年集まって勉強していると学院長の話した意味が、三、四年後にああそうだったのかと思うこともある。二日間で技術と人間性を高めて欲しい」とあいさつ。続いて早志紀男副学院長が「価値ある目標を設定し、その段階を達成しているときが成功。目標設定を大切に行い、自分に投資したものを持ち帰る意欲でがんばって欲しい」とスクーリングの心構えを話した。
続いて金光学院長が「蘇生術も振り返ると二十年の歴史。アカデミー組織が拡大して全国に蘇生術が広がっており、今後は地区大会に移行するかも知れない。今日はアメリカアカデミーから徳家里美さんも参加してくれており、世界にも道はつながっている」と状況を報告した。
アメリカアカデミーの徳家さんは一九九九年に学院関係者十二人がアメリカを訪問して講演を行った際の通訳を受けたのが蘇生術との出会いで、アメリカでの普及を目指して日本に戻り、二〇〇〇年八月に蘇生術を習得。しかしアメリカでの開業には百時間以上の専門講義を受けた後に試験に合格しなくてはならないマッサージセラピストの資格が必要だったため、猛勉強で今年一月にその難関を突破、年内開業を目標にカリフォルニア州のサンマテローを拠点として開業準備を進めている。
今回のスクーリングは地区別の代表が体験談などを話す講演や模範演技、ITネットワークの説明、グループ別ミーティング、学院長講演、親睦会など多彩なプログラムを二日間にわたって行い、閉会した。


来年二月に豊松村のランドマークタワーが誕生

豊松村(神石郡豊松村大字下豊松741)は、標高六六三mの米見山山頂にランドマーク・豊松タワー(仮称)の建設工事を進めている。
このタワーは鉄筋コンクリート造り、延べ床面積約百四十平方m、高さ二十六m、エレベーターと階段を使うと十八mまで上がれる。多目的に使う学習や体験などの交流スペースもあり、神楽などの上演もできる。紙ヒコーキ教室を開いて飛ばすイベントも計画している。広場では友達や家族連れなどが、遊具で遊んだり、ベンチで弁当を食べることもできる。
建物の屋根などにソーラーシステムと風力発電施設を設置し、タワー内で使う電力の一部を賄うなど豊かな自然と環境に配慮した設計を採用している。汚水は循環式浄化槽を設置して処理するシステム。
八月末から大宝組と横山建設の共同企業体で工事に着手しており、来年二月末には完成する。来年度では駐車場やアクセス道などの周辺整備も行う計画で、総事業費は一億五百万円、国の「村づくり維新森林・山村・都市共生事業」として補助を受けての事業。
同町では、タワーのネーミング、展望台や学習・体験などの交流スペースもある施設や広場の使い方のアイデアを募集しており、九月末で締め切る。
山林と山村、都市との共生を図る事業として整備しているこのタワー、完成すると晴れた日には中国地方の最高峰、大山も見通すことができ、秋の早朝には三百六十度のパノラマで雲海を眺めることができる。
米見山は別名「豊松富士」とも呼ばれ、そのふもとに広がる標高四百mから五百mに耕地が分布している豊松村は面積の八〇%を森林が占めている。人口は約千八百人。
キャンプ場やゴルフ場のある仙養ヶ原ふれあいの里、トマト団地アグリパーク陽光の里、文化ホールやトマト工房、ふれあいショップを備えた豊松プラザ21などがあり、史跡としては堂面洞窟史跡、鶴岡八幡神社、幸運仏堂、毘沙門自然洞窟があり、伝統芸能として古くから荒神神楽が行われ、供養田植、豊松太鼓があり、最近では全日本荷車引きレースも開かれている。


いまよしマートが創立三十周年

SPAR(スパー)店、ホームセンター等を展開する(有)いまよしマート(甲奴郡上下町上下2038-1、資本金九百万円)は、創業三十周年を迎え、九月十一日、上下町矢野の温泉施設「あやめ荘」で、創立三十周年記念式典を開いた。
また、藤井徳夫社長が勇退して代表取締役会長に就き、常務取締役の松田寿夫氏が代表取締役社長に就任する役員人事も発表された。
当日は、上下町政財界の代表や県東部の取引先、街おこしグループなどから約百七十人が出席した。来賓として地元選出の藤井正巳県議会議員、梶田昌宏上下町長、県東部地区スパー本部の豊田直之社長、クローバー食品の三宅敬一社長、ユーホーの佐藤哲士社長、上下町商工会の堀田悦三氏らが出席して祝辞を述べた。
同社は、昭和四十五年七月チューリップの店、今好支店開業が始まりで、今年で三十二年、同四十七年(有)いまよしマートを設立して今年で三十周年を迎えた。同五十四年スパー上下店を開店、五十八年に通信カラオケ、コミュニティルームを備えたプロセスセンター、六十一年にスパ―三和店、平成二年スパー油木店と順調に多店化を進め、平成七年には「ショッピングクロスすいすい」をオープン、同十二年九月には念願のワンストップショッピングを実現する、ホームセンター、ユーホー上下店をオープンさせた。今年はレストラン粋酔、コインランドリーしゃぼんを相次いで開店した。最近の年商は十一億円規模に成長、上下町を代表する小売り業として不動の地位を確立している。
藤井紀男会長は業界でも活躍しており、広島県東部地区ビルド商業協同組合理事長、全日本スパーギルド商業協同組合連合会会長、上下ライオンズクラブ会員、交通安全協会理事、協同組合上下ショッピングセンター理事長、上下町商工会監事、街おこしグループなど多数の役員を務めている。
松田寿夫社長は「二十七年前、兄からの『いっしょにやらないか』という言葉から始まり、今日までがむしゃらに走ってきたように思います。今後は社長の大任を預かり、前社長を超えるべく、苦しみを喜びとして精一杯持てる力を発揮して頑張る所存でございます」と新社長としての決意を披瀝した。


サトウ製作所が射出成形の小ロット対応開始

プラスチック射出成形の(株)サトウ製作所(深安郡神辺町十九軒屋38-1、資本金一千万円、佐藤憲示社長、рO84・062・2793)はこのほど、金型メーカーと提携してプラスチック射出成形を小ロットから対応する体制を整えた。
これまでは採算性から千ロット以上が最低受注単位だったが、小ロット対応のための金型交換システム構築により、数百単位での受注が可能になった。発注企業の初期投資負担を軽くすることで受注増につなげるのが狙い。素材も難燃剤入り、ガラス入り、金属入りなど各種プラスチックで対応する。同社の佐藤憲示社長は「小量多品種の高付加価値製品を展開できる企業を目指します」と話している。同社HPアドレスはhttp://www9.ocn.ne.jp/~sato-tec/
同社ではこのほか、県内でもほとんどないという硬質塩ビの成形や、比重が〇・六と軽く、水が入らないため浮き部品などに活用されている発泡プラスチック射出成形も手掛けている。発泡する部分と発泡させない部分を持つ部品を一度で成形する技術には、広島県東部工業技術センター(福山市西深津町)も関心を示すなど注目を集めている。
またこのほど、中国最大の射出成形機メーカー海天機械(寧波市)と(株)山城精機製作所(埼玉県)が提携して製造販売する縦型油圧式射出成形機一台を導入。ヨーロッパスタイルの精密な加工が可能という。ヨーロッパやアメリカで大きな販路を確保している海天機械の射出成形機が日本で導入されるのは二台目で、これを機に日本市場にも本格進出していきたい考え。導入した佐藤社長は「これを機に海外の情報も取り込みやすくなる」と期待している。



こぼれ話  2002年9月20日号

若者の姿が見当らない 敬老会は日本の将来図?

町内会の関係で三成小学校体育館(尾道市)で開かれた「敬老会演芸会」を覗かせてもらった。けっこう面白かったし、参考にもなった。
おじいさんから鉄砲の弾が貫通した痕を見せられた驚きを読み上げた男の子。小学生の作文朗読からはお年寄りたちが孫たちへ戦争体験を伝えており、子どもたちは活字から頭へ入れた平和とは違い、心で平和を受け止めているようだった。
お粗末ながらと前置きして尺八を披露する人、男と女の哀愁を扇子一つで現し踊る人、練習の積み重ねを思わせるコーラスを披露した育成会のママさんたち。お面をかぶった踊り手に「○○さんじゃろう」と名前当ての会話も弾んだブンガチャ。一つのプログラムが五分程度といったテンポのよさもあって素人芸の妙味を楽しませてもらった。
お年寄りの表情を見ていると人気は民謡と思われた。「皆さんも歌いましょう」というコーラス参加の呼び掛けに応じたお年寄りは少なかったが、何も呼び掛けがなかった民謡には手拍子まで打つ人が多く、声は聞こえないものの、後ろからは歌っていると思える首振り動作の人も目立った。中でも銀色に輝く会場が揺れた人気曲は「貝がら節」。仕事に追われて過ごした若き日を追憶しておられたのかも知れない。
総務省が発表した九月十五日現在の高齢者(六十五歳以上)人口推定値は二千三百六十二万人で、総人口の一八・五%。今回は初めて七十五歳以上の人口が一千万人を超え、長寿社会を裏付けた。二〇一五年には日本の高齢者人口がピークを迎え四人に一人を上回る二六%になる。
長寿化が進むことは祝うべき慶事だが、高齢者比率の高まりは国力の低下を招く。ママさんコーラスの若さが目立ったことから敬老会を支えるスタッフに若者がいないことに気付かされた。中学生や高校生が一人も見えない。もしも世界が百人の村だったらではないが、この会場が日本の将来図だったら。お年寄りが大集合する敬老会は戦争体験に限らず、日本の生の歴史に触れる機会でもある。会場を盛り上げる若者が増える工夫があっていい。敬老会の年齢構成から数年後の経済を憂うのは杞憂であると願いたい。

囲碁は交流ツールとしても

因島市では平成九年に囲碁が市技となってからますます盛んになっている。近年は囲碁をテーマにした少年漫画が人気となった影響もあって囲碁を嗜む少年少女も増えている。
ここ十年は碁石に触れていなかったAさん。腕前は二段だが、久し振りだからと初段の登録で囲碁大会に出場したものの、まさかの敗退にがっくり。相手は囲碁を始めて半年あまりの小学校二年生。孫のようなあどけない笑顔に勝負の厳しさを教えられるハメになった。
文政二(一八二九)年、因島市で生まれた棋聖、本因坊秀作は胎教で囲碁と出会い、五歳で母から囲碁を教わり、わずか七歳で三原城主浅野公と対局、驚かせている。囲碁は意外と能力の発芽年齢が低い。子どもたちとお年寄りとの交流ツールとしても優れている。(J)

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