びんごトピックス  2003年1月1日号 
 
表紙写真


福山ビールの「リーデンビール」が撤退

備後地方では唯一の地ビール「リーデンビール」を製造していた(株)福山ビール(福山市一文字町14-14、資本金三千万円、小林嗣宜社長)が十二月末で製造を中止、地ビール事業から撤退する。
平成七年十一月、日東製網(株)(本社東京、主力工場=福山市一文字町、小林嗣宜社長)が主に出資して設立、同工場内に醸造設備を設置し、直営のレストランも経営、市内のホテルや百貨店、飲食店などに販売していたが、低価格の発泡酒人気に押され、景気低迷もあって初年度から販売量が伸びず、主力販売先の一つ福山そごうの閉店もあり、採算ラインを割り込み、赤字経営が続いていた。
同社では、地域活性化も目指して経営努力を続けてきたが、創業七年で製造中止に踏み切った。


小川木材興業が家庭向け低価格・小型焼却炉試作

製材、梱包製造などの小川木材興業(株)(世羅郡世羅町本郷698-1、資本金二千万円、小川弘興社長、TEL08472・2・0700)はこのほど自社開発商品として、一般家庭や事業所向けに小型で低価格の焼却炉を試作した。環境関連の法整備が進む中でダイオキシン発生を抑える一般向け焼却炉として現在試運転中、近く商品化する。
この十二月から適用になったダイオキシン類対策特別措置法では、一般廃棄物及び産業廃棄物とも焼却能力が時間当たり五十キログラム以下、かつ火床面積が〇・五平方m以下であれば特定施設とならず、知事への届出が必要なく、年一回以上のダイオキシン測定を行う必要もない。同社が試作した小型焼却炉はこの基準に適合するもので、ダイオキシンの発生を抑える条件ともなる燃焼可能温度摂氏八百度以上に耐え、バーナーで助燃、温度制御器も設置している。一次燃焼室と二次燃焼室をつなぐ排煙口の形状と、バーナーの向きなど内部の構造を工夫、対流が起こりやすい仕組みで早く温度が上がるという。二次燃焼室部分は外側を包む保温材の厚みを入れても縦横九十cm角。今後一時燃焼室を小型化し、両方合わせて高さ三〜三・五mの焼却炉として販売する計画。
市販の小型焼却炉は同規模で二百五〜六十万円が一般的だが、同社での販売価格は五十万円程度を予定。同社系列として三店を展開しているホームセンターで反応を見る。
同社はこれまでも一般消費者向けの商品開発に取り組んでおり、今回の低価格小型焼却炉にはかつて自社で必要な熱炉、乾燥炉を開発した際習得したノウハウを応用した。炉のほかにも梱包補強材として鉄の加工が必要となり鉄鋼事業部を開設している。農業用のマルチフィルムに穴を空け土ごと掬い取って野菜苗などの定植の能率を上げる「農業用穴掘パックン」も同事業部が開発、農協などでも販売されている。同社の湯川義明統括部長は「常に新しい視点を持ち、エンドユーザーに直接販売できる商品開発を進めていきたい」と話している。
また同社は昨年八月、全国木材組合連合会(東京都)による「EU向け輸出梱包用熱処理材認証工場」の承認を取得。松枯れの原因となるマツノゲイセンチュウを熱処理駆除、「消毒済み」の印を梱包材に押せる工場として承認を受けたもので、県下で取得しているのは同社を含め四社。工作機械などの梱包の売り上げ単価は既往の一・五倍となったが、「消毒済み印」のない梱包は輸出できないという事情から受注も維持、現在工場はフル稼働している。
大正十一年創業、昭和二十一年設立の同社は製材、梱包、パレット、特殊コンクリート型枠、鉄鋼の各事業部を持ち、本社工場のほかに津口工場がある。また小川製箸(株)、(株)小川建材センター、ホームセンターのバラエティーショップジョイ、住宅増改築のリホームジョイ、型枠製造の(有)セラモク、学習塾の世羅学院などでグループを形成している。


古川製作所が中国市場に本格参入

真空包装機のトップメーカー、(株)古川製作所(本社東京都品川区大井6-19-12、本部広島工場=三原市沼田西町小原200-65、古川雅章社長)は、中国市場へ本格的に参入する計画で三月頃をめどに青島へ営業拠点を開設する。
今のところ本社から一人を常駐させ、業界に明るい現地人二人程度を採用して情報収集を始める。これまでも日本系の進出企業に年間五千万円規模を商社経由で輸出した実績はあるが、今回は日本から進出している現地工場を主に中国市場への営業活動を本格化させ、初年度一億円台の販売を見込んでいる。
同社ではアメリカ、ヨーロッパを中心に世界五十数カ国に全製品の約三〇%を輸出しているが、中国はヨーロッパに次ぐ第三の有望市場とみて今後の展開が期待されている。
昨年四月にはドイツ、デュッセルドルフで開かれた世界最大の包装機展として知られる「インターパック」に自動真空包装機を出展、十月には東京パックにも出展しているが、十二月には古川雅章社長がアメリカ市場へブロック肉の包装に使う新製品のPRに出向いた。「大手食肉加工工場でテスト操業してもらい、そのテスト結果により新製品として市場投入を計画している。また、国際標準規格ISOの認証取得に向けた計画を近く具体化し、世界市場でフルカワブランドの評価をさらに高めて、信頼性を確立したい」(古川社長談)としてISO認証取得のキックオフ宣言も近いものとみられる。
なお、平成十五年一月期決算では国内外で受注の伸び悩みや価格引き下げ要求が強まる厳しい環境にあるが、合理化効果や営業活動の強化などから、売上高は六十四億円、経常利益八億三千万円を予想している。
同社は食品業界向けが主力の真空包装機のトップメーカー。札幌、仙台、千葉、名古屋、福岡など国内に十五営業所・出張所があり、台湾に台北事務所を開設している。



福山駅に輸入食品専売店ジュピターを開店

JR福山駅南側に輸入食品販売の「Jupiter」(ジュピター)の新店舗が完成し、十二月十九日オープンした。
店舗は駅正面入口東側に建設した平屋建て百九十八平方m、扱い品目はコーヒー、ジャム、ハチミツ、シロップ、パスタ、ドレッシング、菓子、青果材料、中華材料等五千種類以上の輸入食品を揃えている。この店舗の運営は西日本旅客鉄道(株)岡山支店のグループ会社、(株)ジェイアールサービスネット岡山(岡山市駅前町2丁目4-6、花谷一正社長)で、店舗の建設など開設までを担当し、実質的な営業は業務委託しているジュピターコーヒー(株)(東京都文京区本駒込4丁目41-4、内林久雄社長)が行う。営業時間は午前八時から午後九時まで、店舗内は買い物を楽しめるディスプレイや商品構成で、主に若い女性客がターゲットとなるものとみている。営業は年中無休で、一日五十万円の売り上げを見込んでいる。
インポート・フーズ、コーヒー&ティ「Jupiter」(ジュピター)は全国に十店舗を展開、主としてJR各駅構内や隣接する地下街に出店している。JR西日本関係ではさる八月に京都駅地下街内に一号店を開店しており、福山店は二号店となる。
計画では平成十七年開催する岡山国体前後に岡山駅への出店を検討している。




こぼれ話  2003年1月1日号

誘致活動を振り返れば 始めは羊の毛ほどの縁

新年明けましておめでとうございます。今年はいよいよ日本鋼管が川崎製鉄と合併、地元経済に大きな影響を与える合理化計画も具体化しそうだ。進出当時を振り返れば、時代の潮流も見えてくる。温故知新ではないが、少々資料をくってみた。
日本鋼管は昭和三十六年十月十六日に広島県、福山市、深安郡神辺町との間で製鉄所建設に関する協定書が交わされ、工業用地の埋め立てや工業用水の確保、道路整備などを地元自治体が協力して推進する約束がなされた。間も無く埋め立て工事に着手、府中、松永、尾道、三原、因島の六市と深安郡、芦品郡、御調郡、沼隈郡、豊田郡内の十二町が備後工業整備特別地域に指定された昭和三十八年に本丸となる日本鋼管福山製鉄所の工場建設が始まり、四十年四月に冷延工場が稼動、四十一年八月二十六日に一号高炉に火が入っている。その間、福山市の人口は三十七年の十五万七百人から、松永との合併を挟み、工場が稼動する四十一年までの四年間で二十一万三千二百人にまで膨らんだ。
福山市は戦後、大日本紡績、日本エクスライン、大昭和製紙といった企業とも誘致交渉をしたものの失敗に終わっている。日本鋼管が西日本進出を望んでいるとの情報をつかんだ福山市は、色めき立って昭和三十五年から積極的な日本鋼管誘致に動き、経済界もこぞって支援した。
鋼管は当初、宮崎県細島、大分県鶴崎、山口県防府、広島県松永・福山、岡山県水島、兵庫県加古川、千葉県習志野幕張、宮城県石巻の八カ所を候補地に挙げたが、のちに三重県津、愛知県豊橋の二地域も加えられ、合計十地域で壮絶な誘致合戦が繰り広げられた。進出が決まったのは協定が結ばれる一カ月前の昭和三十六年九月のことだった。
どんな因縁、奇縁が実を結んだのか不明だが、誘致の常道として地元出身者の有力者が頼られたのは間違いない。松永湾に川崎製鉄の誘致活動が行われた際は尾道市出身で当時川崎製鉄常務だった宮本伯夫氏が頼られた。プレス工業が尾道に進出したときの同社会長は因島市出身の毛利繁三氏だった。
人が生まれ、育って行く過程で結ばれる縁は、いつも手繰るほどに太くなり、始めは見えない糸ほどに細い。厳しい時代だから中味を伴なわない羊質虎皮も、針路に迷う多岐亡羊も許されない。されど羊の毛ほど細い同郷、同窓の縁を今年は今一度見直し、新しい毛布づくりにトライしてみてはいかがだろうか。(J)

羊年の出来事。昭和六年▽満州事変、十八年▽三菱電機が福山に進出、三十年▽第一回原水爆禁止世界大会を広島で開催、四十二年▽プレス工業の尾道進出決定。NHK福山放送局開局、福山駅前にダイエーの進出決定、福山電話局の新電話局舎完成に伴ない局番を二ケタ化、ニチイ尾道ショッピングデパート開店、五十四年▽第二次オイルショック、共通一次試験スタート、東福山旅客駅開業、府中工業団地協組設立、佐藤勲尾道市長を汚職により逮捕、平成三年▽イラク攻撃の湾岸戦争勃発、ソビエト連邦が崩壊。

このページのトップへ