びんごトピックス  2003年2月20日号 
 
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19業者で三原印刷工業組合を設立

三原市内の印刷業者が相互に交流して連携を図り業界の発展に務めようと、このほど三原印刷工業組合の設立総会を開き発足した。
設立総会は、さる一月十四日、三原市城町の三原グランドパレスに組合員十九人と、広島市や岡山市から和洋紙、インク等の資材卸会社からも参加があり約三十人が出席して開かれた。
当日は、組合名を「三原印刷工業組合」、地区は三原市、本郷町、久井町、事務所は三原商工会議所内(三原市皆実4丁目8-1、担当=森川英明さん)に置く事を決めた。
組織は、正会員と賛助会員で構成する。目的として、「印刷人綱領」の精神に基づき、印刷業者の改善発達を図るための必要な事業を行い、公正な経済活動の機会を確保すること、組合員相互の交流と連携を図る。
役員選任では、組合長に三好印刷(株)の三好康荘社長を選んだ。副組合長に大東印刷(株)の大東弘典社長、オクダ印刷の奥田康彦代表、理事は近藤印刷所の近藤雅彦代表、(有)三原総合印刷の高橋進社長、監事は吉川印刷の吉川温史代表、大光印刷(有)の池田博祐取締役が就任した。
組合員は次の通り。▼(有)上田製版印刷所(上田隆政)▼Mプロセス(松田和巳)▼(有)芸陽日日新聞(宮原幸司)▼(有)後藤システムプリント(後藤忠昭)▼古山写植(古山知久)▼(有)山陽高速印刷(松尾勝之助)▼瀬戸内興産(株)(土田一夫)▼ますだ印刷(増田信夫)▼みずま印刷(水馬崇吏)▼三原プリント(株)(柄澤洋次)▼(有)山原印刷(山原純人)▼(株)リョーイン三原営業所(檀上正巳)。
設立総会の後、新年互礼会を行い組合員や取引先と懇親を深めた。


花粉症緩和に「黒焼花粉」発売

くしゃみ、鼻水、目のかゆみなどを訴える花粉症の原因の一つとなっているスギ花粉。健康食品メーカーのアイティケイ(株)(福山市桜馬場町2-28、資本金五千万円、向井康雄社長、TEL084・924・3008)はこのほど、スギ花粉を黒焼きにしたユニークな商品を発売した。
発売した「黒焼花粉」は花粉を飛散させる直前の雄花を無酸素状態で炭にしたもの。一目で不純物を含まないことが分かるよう、形状を米粒大の雄花そのままとした。一瓶十五グラム入りで三千六百円(税別)。一日一グラムを目安に噛み潰して飲み込む。
黒焼きは江戸時代から漢方的な利用が伝わり、現在でも民間療法として語り継がれている。発ガン物質が疑われる魚など食品の焦げとは生成が異なる無酸素状態での炭化のため備長炭や竹炭と同様に研究室で分析しても出てくるのは炭素だけ。
スギ花粉の黒焼きは平成十一年に日本農業新聞の薬草コーナーを担当する薬草コンサルタントの平田眞知子さんがつくり方と効能を紹介。花粉症に悩む読者が自作して効果を上げるという反響があった。この記事をきっかけにアイティケイ開発部の小川敏明部長が商品開発に着手、一年がかりで試作商品を試したモニターからもデータを得、無害も確認した自信作として発売に漕ぎ着けた。
原料のスギ雄花は森林組合の協力を得て採取、摘み頃を覚えてもらって品質の安定に自信を深めた。雄花は摘み取ってすぐに冷凍保存。炭素化する焼き具合も最適化した。
花粉症などアレルギー症状の療法にはアレルゲンのエキスを少量ずつ体内に注射して徐々に体を慣らす減感作(げんかんさ)療法と呼ばれる免疫療法がある。黒焼きと減感作療法との関係も研究されているが、症状が緩和される理由はまったく分かっていない。
同社ではほかに熟成プロポリスや純生ローヤルゼリー、エゾウコギを原料とする刺五加茶などを商品化しており、黒焼花粉とプロポリスの併用グループから最も良好なモニター結果を得ている。
黒焼花粉は初年度一万〜一万二千本程度の販売を見込んでいる。


中居木工が「良いもの倶楽部」開設

木製折り畳み式ベッド、座椅子など製造販売の(株)仲居木工(府中市父石町357、資本金一千万円、中居睦博社長、TEL0847・41・4200)は一日、Iネットのホームページで、特許や実用新案などを取得または申請中の製品のみを掲載するバーチャル商店街「良いもの倶楽部」を開設、出店企業の募集と販売を始めた。
折り畳み式ベッドや椅子などオリジナルな製品作りと長年のIネット販売の研究で成功している同社が、知的所有権の啓蒙を目的に、同社ホームページアドレスと別のドメインを取得し「良いもの倶楽部」(アドレス=http://www.yoimono.co.jp/)を開設したもの。掲載する「オンリーワン製品」の定義は「特許権、実用新案、意匠登録の申請中、または許可済みの商品」「日本国内では他に見ることが出来ない商品」。
トップページには、商品、会社外観や製造現場、社長の顔写真とコメント、特許や意匠登録などの番号を掲載。商品写真をクリックすれば、商品の詳細の紹介や資料請求、数量を指定して製品を購入できるページにとぶ仕組み。決済は代引きまたはカード決済となる。各出店メーカーのホームページにもリンクする予定。商品の掲載は一社につき三点までで、出店料は無料、将来的には売上高の二割を販売手数料としてもらい受ける。
またホームページの管理運営は、システム開発などの藤森プロダクション(同市同町、藤森富士夫代表)に順次に移管する。
現在出店しているのは府中市内のメーカー四社で、(株)中居木工が「木製折り畳み式ベッド」(実用新案、意匠登録)、ラジコンヘリコプターなど製造のヒロボー(株)の脳の疲労度測定器「メピカ」(特許)、桐製品など製造販売の豊田産業(株)の、乳歯、へその緒、母子手帳を収納する「おいたちの小箱」(特許出願中)、オリジナルゴルフ製品の(有)フルブルが販売するオリジナルパター「BULU」(特許出願中)。
地域を特定せず全国から募集、五十社程度の出店を目標としている。中居睦博社長は「特徴のあるバーチャルモール。成功している『楽天市場』のように成長させたい」と話している。
(株)中居木工は折り畳み式ベッドのIネット販売で年間約二万台を出荷するメーカー。中居社長ははやくからIネットの威力に注目、成功へのノウハウの講演活動も行っている。同社ホームページのアドレスはhttp://www.fuchu.or.jp/~nakai/



10月に本郷町へ複合商業施設

本郷町原市沖地区土地区画整理事業組合(豊田郡本郷町大字下北方字岸ケ岡863-2、大下禮三理事長)が、同所の国道二号沿いで進めている区画整理地内に核となる複合商業施設が五月着工する。
計画によると、敷地面積約三ヘクタールに商業施設二棟、延べ面積約九千六百六十平方mを建設、十月末完成、オープンを目指す。
この商業施設は、兵庫県内を主に岡山、広島、山口に店舗展開しているイオン系のマックスバリュ西日本(株)(姫路市北条口4-4、福原英典社長)が建設する。一棟には同社が三千五十九平方mの店舗を開設し、棟続きで地元の衣料品販売店が五百五十九平方m、一〇〇円ショップ五百四十五平方m、別棟に四千四百九十九平方mと四百六十平方m、合計四千九百五十九平方mで、ホームセンター大手の(株)ナフコ(北九州市小倉北区鍛冶町1-2-16、深町勝義社長)が出店する。敷地北側角地にセルフのガソリンスタンド、メガベトロが給油所を開設する。開店は遅れるが、衣料品店横に飲食店もオープンする。
駐車場はナフコ東側とマックスバリュ本郷店北側に四百三十五台、一〇〇円ショップ、衣料品店、飲食店南側二六十四台、合計四百九十九台収容の大規模駐車場を設ける。
区画整理地内には組合員が所有する住宅用地約四十区画、本郷町の保育所、学校給食施設、公園二カ所、区画整理地東側の東洋製缶広島工場に一ヘクタールを分譲する。マックスバリュ西日本には約三ヘクタールを二十年契約で賃貸する。
マックスバリュ西日本は、福山市一文字町、同市南蔵王町、同市大門町、同市駅家町、世羅郡世羅町に出店しており、福山市新市町に新店舗建設計画を進めるなど県東部でも急展開している。
ナフコは、尾道市と福山市に出店している他に、福山市新市町と世羅町のマックスバリュ隣接地にも新店舗を計画、広島市、三次市など出店攻勢をかけている。
本郷町の区画整理地は、JR本郷駅から西へ約一・三km、国道二号沿いに約十一・八ヘクタールを対象に清水建設(株)の施工で工事を急いでおり、八月にはすべての造成工事を終え、来春には清算事務を完了して組合を解散、区画整理事業を終結させる計画。近くこの複合商業施設の名称も検討される。




こぼれ話  2003年2月20日号

尾道RC創設期に学ぶ おもてなし観光の原形

一世風靡したNHKのラジオドラマ「君の名は」に多くの国民が耳を傾けていた昭和二十八年、林芙美子の母校尾道東高等学校の講堂では耳慣れない名前の団体が華々しい誕生セレモニーを行っている。
団体の名は「尾道ロータリークラブ(RC)」。セレモニーの名前はチャーターナイト。戦争の傷が癒えない日本にあって奉仕の理想を掲げる横文字の団体名はどれほど奇異に受け止められたことだろうか。
広島、呉に続く県内三番目に創立された尾道RCの誕生の裏には相当の苦労もあったようだが、このほど五十周年を記念して発刊された「尾道ロータリークラブ五十年史」にその一端を垣間見ることができる。戦争に突入した年よりさかのぼること四年。はや昭和十二年には橋本龍一(広島市へ移り広島RC入会、広島銀行頭取)、島居哲(島居薬品(株)社長)、赤松翁一(赤松産婦人科病院長)、阿蘇重太郎(尾道塩業組合理事長)ほかの面々が尾道にRCを結成すべく、市内の料亭竹村家で毎週金曜日に会合を持っている。
しかし国際関係は緊張を増し、特高の干渉も甚だしく、ついに解散に追い込まれる。それでも奉仕の理想に触れた志は戦火を潜り抜けた昭和二十六年、広島RCから結成の勧めを受けるやいなや再びめらめらと燃え上がり、翌二十七年五月には準備会をつくり、同年十月九日には第一回会合を持ち、再び毎週金曜日に集まるようになっている。
翌二十八年二月六日、竹村家にて発会式。二月二十日、国際組織のロータリー・インターナショナルに正式加盟。十月二十四日、会員二十名で尾道東高等学校講堂を会場にチャーターナイト挙行。
かくして誕生した尾道ロータリークラブだが、公会堂もホテルもなかった時分、三百五十人にのぼるお客を迎えての懇親会はまちとしても例がなく、式典、会食の会場設営は頭を抱える難題だった。初代会長・故島居哲氏の文章「チャーターナイトの思い出」にその苦労話がある。
式典会場の講堂は改装、会食は四国連絡船だった第十五東豫丸など二隻をチャーター。鞆の浦まで遊覧しながらの懇親会は海上保安隊の軍艦が先導するもののしさだった。さらに市内の観光各所でお茶の接待、尾道駅での案内、市バスや自家用車を総動員した移動手段の確保等々。
サービス業の発達した現在とは比較にならない苦労の連続だったに違いない。今なら三百人程度の会合は電話一本でも実現できるが、当時はまちを上げての大騒ぎ。これが県東部初の国際ボランティア団体誕生の経緯であり、県東部にして初めて根付いた国際ボランティア団体の発芽だった。
その歓迎振りはまた、初めて団体観光客をおもてなした尾道観光の原形ともなった。土産は東豫丸の船内で料理を楽しんだ後の器。施設に恵まれ無かったにもかかわらず、チャーターナイトの思い出として「東の浜松、西の尾道」という語り草を残している。尾道RC創立五十周年の節目を迎えた今、二十世紀型を模索する観光都市尾道もまた原点を見直す節目にあると思える。(J)

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