びんごトピックス  2003年5月20日号 
 
表紙写真


古川製作所が中国・青島市に事務所開設

自動真空包装機トップメーカーの(株)古川製作所(本社東京都品川区、本部広島工場=三原市沼田西町小原200-65、資本金十六億円、古川雅章社長)は、このほど中国・青島市に事務所を開設した。
四月には中国人女性で上海大学卒後、国内の宇都宮大学院に留学した日本語の堪能な一人を採用、本部事務所で研修をしている。新型肺炎の推移を見ながら今後の展開を決めるが、当面は中国市場の調査を始めながら営業活動を本格化させる。
一方、現地に進出している国内企業のサポート体制も強化するもので、新規市場としての需要拡大が見込まれる。
国内市場では、これまで得意としてきた食品分野のいわゆるウエットとか水物と呼ばれる包装機が主力であったが、昨年秋に本部内に「プロジェクトZ」を立ち上げ五人のスタッフを常駐させ、ドライとか乾き物と呼ばれる新規分野への進出を決め、製薬メーカーや製菓メーカー、製粉メーカー等の市場調査や新機種の開発が同時進行している。昨年十一月には早くも大手製薬メーカー向けに第一号機を納入した。
今年に入って本社と本部広島工場に専門の営業スタッフを配置して営業活動を本格化させている。この新規市場への進出に当っての市場リサーチでは、製菓、製粉などメーカー側の反応は予想以上の手応えがあり、これまで蓄積してきた同社の真空包装技術が高い評価を受ける好結果を生んでいる。開発部門ではドライ業界向け新機種の開発を加速させている。今期業績予想では売上高七十三億円、経常利益十一億円と大幅な増収増益を見込むなど、新規市場開拓に期待が高まっている。
なお、このほどまとめた平成十五年一月期の業績は、国内外の厳しい環境から、売上高は六十四億八千七百万円、経常利益八億九千四百万円、当期利益五億一千四百万円の減収減益となった。
同社は、真空包装機のトップメーカーで、国内市場のほか北米を主に海外に生産高の三〇%を輸出している。今後は中国やヨーロッパへの営業活動を強化して海外市場のシェア拡大を展開する計画で、国内では製菓、製粉などの新規市場開拓も積極的に展開する。
国内の営業拠点は札幌、盛岡、仙台、新潟、高崎、幸手、千葉、静岡、松本、名古屋、金沢、大阪、坂出、福岡、都城に営業所、出張所を開設、台湾には台北事務所がある。
なお、創業社長で会長だった古川喬雄氏の死去に伴なう役員変更でグループ企業の(株)ハイパック、(株)エクス両社の社長と財団法人古川技術振興財団理事長に古川雅章社長が就任した。


東証マザーズ市場にオー・エイチ・ティー上場

プリント基板検査装置開発・製造・販売のオー・エイチ・ティー(株)(深安郡神辺町字西中条1118-1、資本金五億二千九百五十万円、石岡聖悟社長)は、四月二十一日、東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
平成六年六月、オカノ電機(株)から営業権の譲渡を受け、オカノハイテック(株)を設立して創業、九年目で株式公開を達成した。
その後は、平成八年に現在地に本社移転、九年に通産省の「特定新規事業法」の認定を受ける。同年現社名に変更、平成十二年四月、(有)ユーアイテクノを企業買収し子会社化、現(株)エス・ティー・エフ、伯東(株)と海外販売業務で提携、非接触電気検査装置フラッシュ・ショックの製造・販売を始める。十三年には同GX―3の製造・販売も開始、今年三月には創業・ベンチャー国民フォーラムより中小企業庁長官賞を受賞している。
現在の主要製品は、ノンコンタクトテスター、インサーキットテスター、各ICメーカーのピンボード、ファンクションテスター、プリント基板自動検査装置、液晶検査装置、半導体検査装置等。
社員数九十人、営業拠点は本社、東京、名古屋、長野、九州、海外に台北、ソウル。
業績は、平成十四年四月期は、単体で売上高十九億二千九百八十三万五千円、経常利益七千八百万二千円、当期利益三千九百五十七万二千円。
十五年四月期は、売上高二十二億二千三百八万五千円、経常利益一億二百十八万三千円、当期利益四千百九万一千円の増収増益を見込む。
なお、中国銀行(岡山市)が平成八年八月創設した企業育成支援制度の利用先企業としては第一号の上場企業となる。同行では平成九年と十年の二回、同社向けに投資、融資を行っている。



備後地区の婦人服製造業者13社が協議会設立

県東部の婦人衣料製造業者が「BINGOレディースフェア協議会」(由永尚義会長)を設立し、六月二日から七日までの六日間「BINGOレディースフェア」を開催する。
同協議会には広島県被服工業協同組合(出原誠三理事長)加盟の十三社が参加しており、これまで各社が個々に日時を設定して開いていた展示会の開催期間を統一して開き、全国の取引先の利便性と販売促進を図り、備後地区業界の活性化を目指す。
展示会場は従来通り各社の展示場を使い、業者間の連絡はタクシーなどを配置して運行する。期間中は量販店、問屋等の販売先、素材メーカーや商社などの取引先約三百社が訪れるとみている。
今回この協議会に参加したのは婦人衣料メーカー十三社で、加入している県被服工業協同組合も情報提供やPRなど全面的に支援する。同組合員には約五十社が婦人服製造を手がけており、年間四百億円を販売している。
来年開催予定の第二回フェアには参加業者の増加が見込まれており、関係者は継続事業として企画の充実など今後の展開に期待を寄せている。
同協議会企業はカジュアルパンツ、ボトム、フリーサイズスラックス、ブラウス、ジャケット、コート等のメーカーで、次のとおり。
▼アパレルアイ(株)(深安郡神辺町、福永一夫)、▼アリフク(株)(福山市芦田町、甲斐尚登)、▼有木(株)(同市新市町、有木康彦)、▼(株)内田太郎商店(同市駅家町、内田昌雄)、▼加富屋(株)(同市新市町、後藤克公)、▼(株)佐々木要右衛門商店(同、佐々木輝彦)、▼(株)大盛センイ(府中市栗柄町、高橋邦治)、▼(株)塚孝市商店(福山市新市町、塚弘光)、▼(株)ナツメダ(同、棗田和敏)、▼(株)ベルビアン(同、光成慎二)、▼(株)山名繁治郎商店(同、山名作太)、▼山和(株)(同、田邊克弘)、▼(株)由永縫製(同、由永英雄)


尾道に心療内科等の「みやもとクリニック」開院

心の悩みを気軽に受診できる心療内科・神経科の「みやもとクリニック」(尾道市西御所町3-5、宮本慶一院長、TEL0848・20・1891)が五月十九日、開院した。
診療内科・神経科の診療内容は青年期の対人障害、パニック障害、軽症うつ病、ストレス障害、自立神経失調症、不眠症、高齢者の物忘れなど。ストレス社会にあって心の病が増加する中、尾道市内には気軽に受診できる診療所が少なく、地域ニーズに応える開業となった。
宮本慶一院長は尾道北高を昭和三十七年に卒業、鳥取大学医学部で医学博士となり、国立浜田病院、松江市立病院、鳥取大学付属病院、島根県立湖陵病院などに勤務。精神科医として治療に当たったほか、ノイローゼの研究なども進めていた。定年を前にホノルル育ちの奥さんとともに気候のいい故郷で暮らすため、この度の開業を決めた。
診療所内は木材を豊富に使用、やさしい木の香りに包まれる。診療時間は午前九時から午後〇時三十分までと同三時から六時まで。休診日は木曜日午後及び日曜日、祝祭日。



こぼれ話  2003年5月10日号

逃げではない、最終挑戦 故慶徳和宏元校長の真意

高須小の慶徳和宏元校長が自殺した問題で県・市教委は調査結果を最終報告書にまとめ九日、発表した。
焦点と思われていた教職員と校長の対立の構図については浮き彫りにされたとは言えないが、高須小で行われていた異常な行為の一端を垣間見ることはできた。
例えば、校長が着任して二カ月も経たないうちに行われた五月二十六日の運動会。その準備段階は異常だった。報告書には、職員会議に教員でつくる保健体育部から出された運動会計画には国旗掲揚の記載がなく、さらに「なぜ、日の丸を揚げないといけないのか」などの質問が教職員から激しい口調で出され、慶徳元校長は職員会議の最後に「みなさん、よろしくお願いします」と涙ながらに言ったとある。
続いて五月十七日に市教委が学校に行くと運動会プログラムが印刷され、来賓用の案内状の発送準備もできていた。ところが国旗掲揚でもめた開会式次第がプログラムに記載されていなかったという。かくして式次第の記載がないプログラムは市内小中学校三十一校中一校のみという異常事態となった。
報告書は二十項目ほどの内容となっているが、まったく触れていない視点もある。報告書に基づき、異常が二度と起きないよう改革が進められることになるが、改革について次の点を指摘しておきたい。
新しいことを始めると必ずボロが出るもの。その責任を新しいことを始める方針を示した者に求めては旗振り役がいなくなる。新しいとは確立された手法がないから新しいのであって、模索の連続が当然。途中で予想外の困難があれば、軌道修正をすればいい。失敗自体ではなく、報告・連絡・相談がうまく機能しなかったときにこそ責めを負うべきで、経済界ではそれが当たり前だ。
万が一、軌道修正だけでは目的達成がきわめて難しい状況になったとき、目的を諦めるか、あくまで初志貫徹を狙うか、悩む。元校長が自殺した理由がどちらだったかで、教育改革の行方も大きく違ってくる。
苛酷な校長職が自殺の一因とする職員組合の主張やそれに同調するマスコミの論調は「悩んだ結果、逃げた」という虚像を前提にしているように思える。
果たしてそうだったのか。それは甚だしい見当違いで、校長は自らの命を代償に、子どもたちの前に立ちはだかる真の敵を打ちのめす最終戦に挑んだのではないか。古い手法ではどうしようもならない、恐ろしいほど巨大な壁を目の当たりにし、このまま放置すれば、数十万人、数百万人の子どもたちが同じ道をたどるという危機感と板ばさみになり、自分は小石であろうとも全国に波紋を広げる方法こそがたった一つの希望と信じ、自らの魂を生かす道として死を決断したのではないか。
自殺という行為を決して美化してはならない。が、戦中、特攻隊を自殺とは言わなかった。「校長は決して諦めたのではない」という見方があっていい。元校長の遺志が校内を最期の場所と定めたことにあるならば、問題の解決方向はただ一つ。校長が見た巨大な敵の正体を暴き、二度と同じ過ちを犯さないよう是正することにある。(J)

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