びんごトピックス  2003年9月1日号 
 
表紙写真


ヤスハラケミカルが総領工場の設備増強

ヤスハラケミカル(株)(府中市高木町一〇八〇、安原禎二社長)は、ホットメルト接着剤製造の総領工場(甲奴郡総領町亀谷1065-1)内に食品包装用ラップフィルムの改質向けマスターバッチの増産体制を図るため六号機を増設する。現在稼働中の五号機と合わせ二基のプラントでの生産体制となり、製造能力は倍増する。
増設するマスターバッチ用練り・押出し機六号機は、原料供給装置、成型、計量機、梱包等を含めて約二億円から二億八千万円の投資を見込んでいる。近く工事に着工して来春三月末の稼働を予定している。
ポリエチレン、ポリプロピレンなどのフイルム原料に混入することで環境にも好い品質に改良されるとして改質材向けマスターバッチの需要が着実に増えており、今後の伸びも期待できるとして六号機を増設して増産体制を整備する。
ホットメルト接着剤を製造する総領工場は十二人の従業員が在籍して創業している。
同社は松の木から採れる精油テレピン油、柑橘類に含まれるオレンジ油等を総称してテルペン類といわれるが、このテルペン化学品で国内唯一、世界でも有数の専門メーカーとして知られる。
テルペン樹脂製品は、粘着テープ用、プラスチック改質剤、紙オムツ用接着剤などに使われる。オレンジ油は石鹸、歯磨き、芳香剤等の着香料に、テレピン油は洗浄剤、溶剤、香料及び農医薬原料に用途が広い。ほかに自動車シーリング用、包装用等の製品もある。
平成十五年三月期では、連結で売上高九十四億六千六百万円、経常利益十億八千五百万円、当期利益五億三千九百万円。単体では売上高八十五億八千百万円、経常利益十億一千七百万円、当期利益五億九百万円、十六年三月期は連結売上高九十六億八百万円、経常利益十一億三千六百万円、当期利益六億四千八百万円の増収増益を見込む。
生産拠点は、高木工場、新居浜工場、川内工場、鵜飼工場、総領工場、関係会社はヒロダイン(株)、海外への輸出は東南アジア九・七%のほか欧州、北米など約一四%。


佐々木木工がウカイ工場内に本社移転

府中家具業界大手の佐々木木工(株)(府中市、資本金五千万円、川本一徳社長)は、八月二日、本社事務所を市内高木町からウカイ工場(市内鵜飼町字大段原800-85)内に全面移転した。前本社屋のショールームは業務を続けている。
ウカイ工場は同社の主力工場で、従業員の約八割が勤務している。さる三月には府中家具業界でも初の国際標準規格ISO9001の認証を取得している。敷地は府中市土地開発公社が造成した工業団地内に立地しており、敷地一万一千八十八平方m、工場棟は鉄骨造り二階建て延べ床面積六千二百五十平方m、同造り二階建て延べ床面積四百九十八平方mの事務所棟、同造り平屋建て九百十八平方mが倉庫棟、総延べ床面積は七千六百六十六平方m、西松建設・武田組共同企業体が施工して完成した。当時の総事業費約十七億円を投入した。
設備はドイツ製の最新鋭塗装プラント、大型集じん機、焼却炉を利用した工場内暖房システムを採用、一階から二階に生産ラインを構築している。
同社は昭和四年一月創業、同三十年九月会社設立、市内の高木町にショールーム、本山工場とウカイ工場、関連会社に(株)インテルナ佐々木、(有)ササキファニシングがある。平成三年にシンボルブランド「BIOS」(ビオス)を創設した。同九年に一級建築士設計事務所開設、十二年にはイタリアのミラノ市にデザインセンターを開設、岡山市桑田町にイタリア直輸入家具、オリジナルのこだわり家具、生活雑貨も販売するアンテナショップ的な店舗「FELICE(フェリーチェ)」をオープンした。店名はイタリア語で「幸せ」を意味する。


「酸素バー」が福山にオープン

話題の酸素バーが八月十四日、県東部では初めて福山市内にオープンした。
店名は「ダンデリオン」。福山リラクゼーションスクール(吉宮民子代表)の経営。場所はピカデリー劇場の東側(伏見町4-26紗羅紗ビル2F、TEL084・922・3301)。市内元町7-7にある「フットタイム・リフレ」の姉妹店。
酸素バーはNASAで開発された酸素濃縮技術を利用したアメリカ製の酸素濃縮機を使用。酸素ボンベと違い圧縮時に活性酸素を発生する可能性がない。空気中の酸素を九〇%に濃縮、アロマを通してノーズチューブから吸引する。ノーズチューブで空気が混入し、体内には四〇〜五〇%の濃度で送られる。
通常の気圧では一〇〇%の酸素を十時間吸っても安全で、様々な健康効果があるといわれている。効果は頭がすっきり、継続による脂肪燃焼効果からのダイエット効果、新陳代謝がよくることからの美肌効果、二日酔い防止と疲労回復など。
開店後、流行に敏感な若い女性や酸素の効果を知っているスポーツ派の男性などが利用している。
酸素バーの料金は十分五百円、二十分九百円、三十分千二百円。ノーズチューブが別途三百円(キープ可能)。約七十平方mには酸素バーのほかフットマサージ(足のみ十分千円ほか)、ボディマッサージ(上半身四十分三千五百円など)のコーナーもある。



ジャパンアメニティが遺品の収集運搬開始

一般産業廃棄物収集運搬、リフォームなどのジャパンアメニティ(有)(三原市古城通1-192-3、資本金四千万円、森川純一社長、TEL0848・67・7333)はこのほど、故人が生前使っていたふとんや衣類などを葬儀後に収集・運搬する新サービスを開始した。
遺族が葬儀後、悲しみを断ち切り前向きに生きるため、故人の遺品を整理する例が増えていることに対応するサービス。故人のふとんや座布団、衣類、畳、家具、楽器などを収集、四tロール車で運搬する。作業時間は三〜四時間程度で、場合により清掃業者の手配も行う。また遺族の意向によっては家屋解体やリフォームにも対応する。
同社ではこれまで三原や尾道を中心に三十件程度の作業例があり、ノウハウが蓄積されたことと、営業方法に関して葬儀業者と連携する体制が整いつつあることからPRを開始した。対応するエリアは三原市、尾道市、福山市、因島市、本郷町など。現在、作業の標準価格を設定中で、決まり次第営業活動を本格化させる。一日二件の受注が目安。
同社は三原市、尾道市、福山市の一般産業廃棄物収集運搬業許可、広島県の産業廃棄物収集運搬業許可、同特別管理産業廃棄物収集運搬業許可を持ち、一般産業廃棄物収集運搬では三原市で大きなシェア。ほかに上下水道工事や建設業関連の許可も持ち、県東部を中心に事業展開している。



こぼれ話  2003年9月1日号

古きよき尾道へ戻れ ヒントを映す東京物語

 尾道をロケ地に製作され、昭和二十八年に公開された「東京物語」は五年後の昭和三十三年にロンドン国際映画祭でサザーランド賞を受賞したのを機に世界の映画人から高い評価を受けることとなった。
 近年は再び評価が高まり、映画の著作権が公表後五十年から七十年に延ばされたきっかけは、期限が迫っていた「東京物語」を始めとした小津作品にあったとも聞く。
 外国人が思い浮かべる日本の風景は、海に迫った家並みの屋根瓦をまるで枕木にしたように汽車が駆け抜ける風景、これがけっこう多いとも言われる。この風景こそが名画「東京物語」に描かれ、西洋化した銀座と対比された尾道の町並みだ。
蒲鉾型の屋根を割り箸ほどの柱が支える桟橋。手前にポツンと立つ常夜灯。岸壁に迫る白壁の倉庫。海を走る小船。何度観てもほっとさせられる、ほのぼの風景ばかりだ。
 小津安二郎生誕一〇〇年を記念した映画上映会が八月二十二〜二十三日の二日間、尾道市のしまなみ交流館で開かれた。会期中には「東京物語」で助監督を務めた斎藤武市監督ら小津組を支えた著名人が出演するトークショーもあった。
 斎藤監督は特に「東京物語」の尾道ロケの思い出話が長かった。心に深く残っていたようで、今村昌平監督といっしょにうだるように暑かった八月の尾道市街を回り、家々に飾ってあった旧暦七月の七夕飾りを下ろしてもらうよう協力を求めて歩き、かき氷とラムネの連続にダウンした苦い思い出も披露した。
 また小津監督はユーモアたっぷりの人で、道化の精神に溢れていたと振り返る。大船撮影所は暑く、ひどい状態だった。小津監督は大部屋の役者さんに向かって「君たち大根でよかった。イモなら蒸けてるよ」としばし暑さを忘れさせてくれたそうだ。監督として厳しかった一面に加えてそんな心温まる話を聞いたあとで観た「東京物語」は格別だった。
 尾道で暮らす老夫婦役は笠智衆と東山千栄子。始まりは旅行準備をしながら交わす夫婦の会話。妻に「よう探してみぃ」と空気枕の行方を問い詰め、「ああ、あったあった」と自分のバッグから取り出す夫。謝るわけでもないが、勢いを失った声には謝罪と自戒の念が溢れている。こうしたユーモアが随所で作品の味わいを深めている。小津監督の人柄を聞いた後は尚更だった。
 「東京物語」は東京でそれぞれ家族を持つ子どもたちを老夫婦が訪ねる物語。自分たちの暮らしだけで精一杯の子どもに「まあ、ええと思わにゃいかんじゃろ」と現実を飲み込む悲哀が映る。この悲哀がユーモアの味付けで見事に浮き上がる。
 作品には当然、小津監督が全国の家族に伝えようとした深いメッセージが込められている。しかし半世紀を経て、「東京物語」のエッセンスを失った尾道には別の意味も膨らんだ。世話になった東京のOL、原節子に東山千栄子が呼び掛ける「あんたもう一遍、尾道へきてぇよ」。尾道の人なら、五十年前の尾道が今の尾道に呼び掛けている言葉と聞けばいい。作品は古きよき尾道に戻るヒントにも溢れている。(J)

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