びんごトピックス  2003年10月20日号 

 表紙写真    


ペアコムが電界測定器を開発

産業電子回路製造のペアコム(株)(福山市駅家町江良358、資本金一千万円、梨木健太郎社長)はこのほど、変圧器や家電から放出される電界を測定する電界測定器を開発、ホームページなどで販売を始めた。
人体に影響があるとされる電磁波から身を守る製品を研究する電磁波事業部が開発。センサーと測定器からなり、センサーを三脚にも取り付けることもできることから、送電線や一般家電製品など二十五Hz〜十五KHzの周波数帯電界を正確に測定できる。記憶装置もあり、五十個までの測定データを保存できる。センサーと測定器の重量は合わせて八百二十gと軽量。ホームページ(アドレス=http://www.peacom.co.jp/)では特別価格十四万八千円で販売している。
高精度で測定できることから、大学など研究機関への営業も検討している。また日常生活での住環境の電界を確認したいと考える一般消費者にも気軽に使ってもらえるようレンタル用を三セット用意、二週間一万円でレンタルしている。
住環境の近くに変圧器がある場合、高い数値が測定されることが多く、福山のアパート住まいの人に貸し出したところ、基準値を超える測定結果に驚き引越しを検討しているなどの反応があるという。
また同社では電化住宅と競合するガス器具業者を対象に電磁波に関する講義を行ったところ、電界測定器と電磁波測定器でガス器具回りを測定し安全性をPRするツールとして使いたいという要望が相次ぎ、ガス器具業者へも営業を本格化させる予定。年間百台の販売を見込んでいる。問い合わせはTEL084・976・7111同社まで。
来年一月には、国内では初めてというハンディタイプで低価格の電界測定器も商品化する計画。携帯電話を頭部から離して使うネックストラップなども販売する同社の梨木健太郎社長は「欧米諸国に比べ国の規制がほとんどない日本ですが、住環境が住む人に与える影響を数値で確認することで、健康への意識を高めてほしい」と話している。


ケアハウス「サンライズ港町」着工

特別養護老人ホームサンライズ大池(三原市深町583)を運営する社会福祉法人泰清会(同所、山田徹理事長)は、計画を進めていたケアハウス(軽費老人ホーム)「サンライズ港町」の建設に着工する。
計画では、十一月七日、午前十一時四十五分から建設地の三原市港町1丁目2235-163の帝人通り商店街の一角で、旧三原郵便局跡地で、関係者が出席して安全祈願祭を行う。工事は十一月に着工し、平成十六年九月末に竣工、十一月に入居を始める予定。
施設の規模は、敷地面積千四百六十八平方m、鉄筋コンクリート造り六階建て、延べ床面積三千七百二十四平方m。匠建築設計(広島市西区)が設計、施工は鹿島建設(株)が落札した。
この施設は、一階に入居者と地域の人が交流する地域交流スペースを設けているのが大きな特長で、ほかにミニ音楽会や映画会を開く多目的スペースもある。二階にデイサービスセンターを配置し、三階から六階までにケアハウスを設ける。全室個室で、プライバシーを重視したバリアフリー構造としている。
入居者は対象年齢が六十歳以上、医療、食事、在宅等のサービスを受け、補助金により負担が軽い。
この施設は近隣でははじめて商店街の中に立地するもので、入居者の生活環境に恵まれ、交通の便もよく面会者も多く訪れるものとみられている。また、地域交流スペースでは地域の人との交流や音楽会、映画会も楽しめる。一方で地元商店街の活性化事業のTOMみはら、三原市と連携して商店街の賑わい創出にも役立つものと関係者は期待を寄せている。
サンライズ三原の総事業費は約十一億円を見込んでいる。
運営する泰清会は、グループに医療法人社団明清会が運営する山田脳神経外科がある。
サンライズ大池(本井俊一副施設長事務長)は、特養ホーム五十四人、短期入所生活介護(ショートステイ)十六人、通所介護(デイサービスセンター)、訪問介護(ホームヘルパーステーション)、在宅介護支援センター、居宅介護支援事業所、軽費老人ホーム十九人(ケアハウス)も併設しており、ことにデイサービスセンターは市内で最も多くの利用者がある。


拝見―第1回おのみち秋まつり

行楽の秋。JR尾道駅前一帯がしまなみ海道開通イベントを彷彿とさせるにぎわいを見せた。
尾道市内では向島町も含めて飲食店を中心にグルメ・海の印象派―おのみち―が開催中。そのイベント期間中の目玉となる美食市、菓子まつりが十一、十二日の二日間、JR尾道駅前のしまなみ交流館、海岸緑地帯、西御所上屋の三会場を中心に開催された。二日とも雨の予報から秋晴れの天候に恵まれ、どの会場も大にぎわい。菓子まつりの出店ブースは二日分の見込みが初日完売となり、あわてて翌日分を追加するほどの盛況ぶり。どの店の売り上げもぐんぐん上がったようだった。
おのみち菓子まつりは交流館一階ロビーで工芸菓子の展示、交流館前の芝生エリア周辺にテントを張って菓子づくり体験コーナーと販売店を配置、芝生中心を広場にしてベッチャーサンバ、山波餅搗き神事などの演技を行うなどイベント会場のレイアウト。ふなやきなど定着した菓子づくり体験やしまなみ交流館で同日開催となった「日本のまつり2003ひろしま」の相乗効果などでにぎわった。
日本のまつりは全国規模のイベント。広島県が受け皿となり、広島市の広島グリーンアリーナ、千代田町の総合体育館、尾道市のしまなみ交流館などを会場に開催。しまなみ交流館では大泉逸郎民謡ショーのほか沼隈町はねおどり、尾道市浦崎町の神楽、瀬戸田町の太鼓集団「島衆」、三原やっさ踊り、餅搗神事、尾道市原田町の神楽、御調町みあがり踊り、府中市の名字獅子舞、因島市のよいこな、福山市の田尻はね踊り、甲山町の大花田植、世羅町の備後大田庄太鼓など近隣の民俗芸能のほか、長崎県小浜町の小浜太鼓、沖縄エイサー太鼓、小田原ちょうちん踊り、今治、松江、高知、松山の文学ルートからの出演など二日間で二十八団体が演舞した。
海岸緑地帯はわいわい市場のテントの列。東二列が骨董品などのエリア、西三列が市内や近隣の特産品販売エリア。餃子や魚珍味類、話題のマツキノコ、穴子うどん、ビールなどつまみに適した食品と飲み物もあり、海岸デッキに腰掛けて潮風と飲食を楽しむ姿が多く見られた。
西御所上屋はおのみち美食市。高い天井と歴史を感じるコンクリート打ちっ放しの空間内にステージを設け、中心にはにぎり寿し屋台、周辺にはメーカーの生ビール販売専用車両などドリンクコーナーを配置。空いたエリアをテーブルとイスにするレイアウトで、昼時をメーンに家族連れなどでにぎわった。また十二日の昼前にはステージでマグロの解体ショー、大トロなどが即売され、にぎわった。
上屋の岸壁側にはテントの列。尾道飲食組合が腕によりをかけ、天ぷら、焼きガキ、タンシチュー、シャコ、焼き穴子、ラーメンなど尾道ならではの一品料理が並べた。また上屋の道路側スペースはフリーマーケットでにぎわった。
尾道商工会議所の推測による二日間の三会場それぞれの人出は、わいわい市場二万一千人、美食市一万五千人、菓子まつり二万三千人。西御所上屋の美食市は通りがかりが含まれる他会場と違い、駅前から二層式市営駐車場を挟んだ西側に位置し、目的を持った人の来場者が中心、吸引力を示した。
こうしたにぎわいとなった原因について、尾道商工会議所では初めて実施した「おのみち秋まつり」の効果を挙げる。おのみち秋まつりイベント実行委員会を組織し、同所の福井弘副会頭を実行委員長に尾道市内と合併予定の御調町、向島町で行われる秋のイベント情報をパック、PRを一枚のパンフレットに集約して強化した。
同所の村上専務理事は「おもてなし事業の蓄積と秋まつりによるPR効果が成功した。これまで個別に行っていたPRを行政と一体となって一本化した」とにぎわいを体感して興奮ぎみに話す。
秋まつりPRは市内への国道侵入路沿いに幟、ポスター一千枚、チラシ四万枚、充実したインターネットなど。関係する窓口で掲示、配布したほか、JR山陽本線の広島から岡山までを中心にポスター掲示、チラシ配布も行った。一市二町の足並みも揃い、相乗効果が高まった。
秋まつりは十一月末までのイベントを総称、尾道大菊花大会(十月二十五日〜十一月十六日)、向島中学校でのにこぴんしゃんまつり(十一月九日)、御調町総合文化施設でのふれあい秋まつり(十一月八日〜九日)などまだまだ多彩なイベント開催が続く。
十六年前に始まったグルメ・海の印象派―おのみち―。駅前と上屋を有効活用するノウハウも蓄積され始めた。菊人形展を廃止して新しい催しを模索していた尾道にとって、福井実行委員長の言う「市民が尾道を誇りに思い、交流ともてなしを計るイベント」にこの十一、十二日の二日間は新しい大きな一歩を残した。


第2回BINGOレディースフェア実施概要

全国的なアパレル産地として知られる備後地域で、ユニフォームやカジュアルウェアメーカーなどが加入している広島県被服工業協同組合(福山市新市町、信岡正郎理事長)は、十月八日、第二回BINGOレディースフェア開催日程などを発表した。
六月上旬に初めて開催日を統一して開いた展示会が好評だったことから、今後は年二回の定期的な開催を予定している。前回は全国から約二百八十社の担当者が各社の展示会場を訪れた。
この展示会を主催するのは県被服工業協同組合の加入企業のうち婦人服メーカー十七社で組織する、BINGOレディースフェア協議会(由永尚義会長)。加入業者は前回に比べ五社増加したが、「当面二十社が目標」としている。
今回は十一月二十五日から二十九日までの五日間、十七社が自社の展示場を使ったり、展示会用に臨時に会場を設営して開く。対象は全国の百貨店、量販店、専門店、地方卸問屋など千三百社に案内状を発送し、期間中の来場者は約三百社からバイヤーなどが訪れると見込んでいる。
レディースフェアに出品するのはボトム、ブラウス、ジャケット、コート、フリースラックス、アンサンブルなどで、主に国内で縫製された商品を揃えて、備後地域のレディース商品をアピールし、全国的なレディース産地を売り込む。
備後地域には婦人服メーカーは約五十社、コスト意識は高く、良い品を安く提供することで早くから国内生産体制を構築している。年間売上高は四百億円規模、ボトム製品では国内一位の実績を誇る。
参加企業は◎アパレルアイ(株)(深安郡神辺町、福永一夫社長)◎アリフク(株)(福山市芦田町、甲斐尚登社長)◎有木(株)(同市新市町、有木康彦社長)◎(株)内田太郎商店(同市駅家町、内田昌雄社長)◎(株)鎌倉(府中市中須町、鎌倉知機太社長)◎(株)川原センイ(同市鵜飼町、川原明社長)◎(株)佐々木要右衛門商店(福山市新市町、佐々木輝彦社長)◎(株)サン・コダマ(同市同町、児玉勝社長)◎(株)大盛センイ(府中市栗柄町、高橋邦治社長)◎田邉(株)(福山市新市町、田邉萃社長)◎(株)塚孝市商店(同市同町、塚弘光社長)◎(株)ナツメダ(同市同町、棗田和敏社長)◎(株)ベルビアン(同市同町、光成慎二社長)◎(株)山武商店(同市同町、山本太重社長)◎(株)山名繁治郎商店(同市同町、山名作太社長)◎山和(株)(同市同町、田邉克弘社長)◎(株)由永縫製(同市同町、由永英雄社長)。
このフェアを後援する県被服工業協同組合の信岡正郎理事長は「備後地方は、全国有数のアパレル産地で、レディース業界ではボトム、ブラウス、ジャケット、コートなど、主にミセスを対象にした製品がハイクオリティーで、しかもリーズナブルに生産され、全国に販売されている。このフェアがファッションの発信基地に育つよう期待している」と、今後も継続して開催することにバックアップする。




こぼれ話  2003年10月20日号

まちにあるサロンの効用 議論が生み出す大きな財産

千葉市在住の洋画家が三原のギャラリーで個展を開催した。「なぜ三原で?」とその洋画家に尋ねると「それまで数回しか会ったのないオーナーから三原への愛情がしっかり伝わってきた。少しでも感性豊かなまちにしていけたら…という熱い思いに打たれたからです」という答えが返ってきた。
そのギャラリーには、同じ理由で市内外から多種多様な職種や経歴を持つ人びとが集まる。決して芸術や文化を掲げた高尚な議論が目的でもなく、もっと住みよいまちにするために、自分たち市民の生活感覚で面白いと感じられるものはないか、ときにはアルコールも入りながら、ときにはその酔いも忘れてまちづくり、まちおこしにつながる「ひとづくり」の方法を探る。
そうした中で生まれたアイデアが四年前に市民やJRを巻き込み、沼田川の川中土手に椅子を並べる企画「ホワイトチェアプロジェクト」として結実、成功したことは記憶に新しい。そんな「人が何かを生み出す場」を快く提供する人、される人が多ければ多いほど、そのまちの将来は明るいと言えそうだ。(N)

教職員が恩師に変わる 尾道の小学校カタログ

来年春から尾道市内の小学校、中学校へ入学するとき、これまでの学区にこだわらず保護者と児童が相談して学校を選べるようになる。
教育改革を進める尾道市教育委員会が英断した学校選択制度がいよいよ平成十六年度の市内公立小・中学校に入学する新一年生を対象に実施される。八日からは対象の保護者へ説明パンフレットの送付も始まり、保護者の関心も高まっている。
教育の結果評価は五年、十年といった先の話。賛否両論の錯綜する中で粛々と準備が進んでいる。学区は子どもの教育単位だけでなく、祭りの神輿をはじめ地域行事と綿密な関係があり、これが学区がばらばらになることで壊れはしないか、そんな心配も広がる。しかし住む場所に杭を打ちつけられたような学区に不自由さを感じる人も多く、特色を見極めて選択できる新制度を当然と受け止める人も多い。
ただ、聞いた範囲ではそれほど学区を超えて子どもを遠方の学校へ通わせる人は多くなさそうだ。保護者を対象にしたこれまでの説明会への参加者も百人未満。同じ市立の学校内での選択支であり、来年度から福山市で始まる小中一貫校や他都市で人気の私立小学校と違い、保護者の心を大きく揺るがすインパクトにはなっていないようにも思える。
意外に冷静な保護者に比べ、校長先生以下の現場は大わらわ。学校が目指す理念を文章にまとめ、それに沿った教員研修を重ね、配布パンフレットに間に合わせた。パンフは言わば学校選びのカタログ集。どの学校にしようかな…とパンフをめくる保護者の姿も目に浮かぶ。
パンフを眺める保護者の妄想を浮かべながらもがんばったであろう教職員の方々にエールを送りたいと思った。努力はきっと五年、十年先に「先生、ありがとう」という恩師への感謝となるに違いない。(J)

このページのトップへ